管理人はつらいよ   
マンション管理最前線

 顔を知らない人 けっこういますよ
&活字アレルギー
 




あんた誰だ?

 知り合いの小学校教師と話した時のこと。「うちの校長はえらいよ。学校の全児童500人近くの顔と名前を全部覚えているんだから」

 う〜ん、500人か? そういえば、私の勤務するマンションは、推定住民総数が500人くらいじゃないかな? 自分にそんなたくさん覚えられるかな?

 私もいい年です。記憶力が落ちてます。(もともと悪いんですけどね) 住民の顔ってなかなか覚えられません。それに、フルタイムで働いている人とは、顔をあわせる機会がありませんから、無理もないです。赴任当初は、前管理人から、「早く顔を覚えないとな」と言われていたので熱心に覚えようとしていました。特に土曜日は、週休二日の人が家にいることが多く、平日に会えない人に会うことができるため、頻繁に巡回して、なるべく多くの住民を知ろうと努力していました。しかし、待遇悪化とともに、「顔覚えるのも疲れるしなあ」とだらけてしまい、今は「覚えよう」という意志が弱いです。その結果かどうかわかりませんが、現時点で顔を判別できる人って、半分いないんじゃないでしょうか? だめな管理人ですねえ。
 将来、防犯カメラが導入されたら、そこから画像を転載して、顔写真入りの住民表を作るつもりがあるので、「まだ、本気で覚えなくてもいいかなあ」と甘えている面もあります。

 ところで、他の管理会社さんのHPを見ていたら、「勤め人の居住者とは、文通で意志の疎通を図っている」という管理人さんの例が出ていました。管理人専用のポストに手紙を入れてもらい、返答も各部屋の郵便受けに入れるそうです。ホントかウソか知りませんが、「これで、ふだん顔のあわせることのできない居住者とも良好なコミュニケーションができている」らしいです。「顔は知らない、ペンフレンドのようなものです」と、その管理人さんは表現していました。

 なんかうらやましいなあ。私のところも制度上はそういうことにしているんですが、住民の質なんでしょうかねえ? 文面にするのを嫌う人が多いんです。たしかに手紙を書くのは面倒ですが、「伝えたいことを伝えられない」のも困ると思うんですけどね。
 「自転車を買い換えたから、変更の届出をして新しいステッカーをもらいたい」という人がいます。こちらのほうも、「ステッカーの貼っていない無届の自転車が勝手においてあって困る」と思っています。それでも、「俺、勤めてるからさあ。管理人さんに会えなくて手続きできなかったんだよ」と3ヶ月後にやってきました。「別に電話でも手紙でもいいから教えてくれればいいのに。なんで?」、「いやあ、なんか会って手続きしなきゃダメかなあと思って」「回覧板に、”お金と申込書を管理員ポストに入れれば、代わりにステッカーをポストに入れます”って書いてあったでしょう」「う〜ん。なんかめんどくて」・・・

 どうも、皆さん、文章を書くのが苦手なようです。そして、文章を受け取るのも嫌みたいです。なんだろうなあ、
活字アレルギーなのかなあ? 私としては、前職時代の経験も手伝って、「伝達は口だけじゃダメ。証拠に残る文字がないとあとあと揉めるもとになる」という考え方がしみついています。「言った」「言わない」という水掛け論がどれだけ無駄なことか、痛い目に遭っています。ですから、連絡はなるべく文字で行ないます。もちろん、顔を合わせる機会が多くて、しょっちゅう話せれば口だけでもいいのですが、それでも、内容が大事な場合は、誤解を防ぐためにも極力文書にして、それをもとに話します。文書があれば、何か自分がミスした時もごまかせません。自分自身に責任感を持つ表れでもあります。

 そんなわけで、マナー違反の住民(この種の人は、昼間在宅しても管理人となるべく顔を合わせないようにするため裏口を多用する)に対して注意する時も、理路整然と論理的に文章を書いて注意します。でも、これが頭に来る人がけっこういるんです。手紙で返答すればいいのに、ある日突然現れ、「口で言ってくれればいいのに、なんでわざわざ手紙にするんだ」と怒っています。文章の内容よりも、「文にしたこと自体」に怒っているフシがあります。「会えないから手紙にしたんですけど」と返答しても、「それにしたって、手紙になんかしなくても・・・」と訳のわからないことを言います。やはり、活字アレルギーみたいです。昔、悪いことをたくさんして、始末書をたくさん書かされたんでしょうか? 文字にして返答することも嫌みたいです。
 たしかに、短い文章だと、句読点の打ち方ひとつで内容が誤解されることもあり、「文字の怖さ」というのも理解できないわけではありません。
 
 言葉遣いも極力丁寧にして、命令ではなく、「下さい」「お願いします」として、腰の低〜い文章にしているつもりなんですけどね。なんか、文字、特に活字になると拒絶反応が出るみたいです。私は自筆だとすごく汚いし、何を書いたか記録を残すためになるべくPCで手紙を書いています。それがよくないみたいです。別に裁判所の命令じゃないし、一管理人がキーボード叩いただけなのに、なんであんなに過剰に反応するのか不思議です。日本人(特に下層社会)特有の「お上を畏れるDNA」なんでしょうか?

 そんなわけで、最近はメチャクチャ丁寧・低姿勢の手紙になっています。でも、これじゃ、”注意”の効果はないなあ。

「この場所での”立ちションベン”は、できることであれば、こちらの勝手なお願いではありますが、なるべく、して欲しくないと思うんですけど、どうでしょうかねえ。私の立場もわかっていただいて、当方のお願いをきいていただけるでしょうか? いや、もちろん”嫌だ”というなら、強制するような権利は当方にはないので、あくまでも、そちらの善意におすがりするしかないんですが、いかがでしょうか?」

 こんな文章、意味あります? かえって、国語力が必要になるなあ。

 「文章を書くのが嫌」というのは、組合運営上も困ります。例えば、「この問題について皆さんどのようにお考えですか、ご意見があればお手紙で、組合ポストまで・・」という回覧や掲示をしても、返事はほとんど来ないのです。しかし、管理人室に意見を言いに来る人はけっこういます。つまり、「意見はあるけど、文字にするのは嫌だ。ただ好き勝手に意見を言うのはかまわない」的なところがここの住民には見受けられます。「記録が残らない」という責任回避的な思考もあるかもしれません。こんな調子なんで、アンケートなども、回収率が悪いです。でも、意見は結構出ます。みんな文句言いたがり屋です。結局、私のほうで、「こんな意見がありました」と、住民の声(ほんとに”声”)を一覧表にまとめることになります。ちゃんとした回答用紙があってもこれですからね。面倒な仕事ばっかりです。参っちゃうなあ。
 


2004/12