管理人はつらいよ
マンション管理最前線
理事会。 うつろいやすい、人の意見というもの |
先日、本棚の中のビデオテープを整理していたら、「12人の怒れる男」という映画を見つけました。監督はシドニー・ルメット、アメリカの社会派映画の名作です。裁判の陪審員の話です。元は舞台劇なのか、会議室の中の場面しかありません。俳優も有名なのはヘンリーフォンダだけで、「こんなに安い制作費でも、こんなにいい映画ができるんだ」と驚いた経験があります。
さて、ストーリですが。
17歳の少年の殺人事件の裁判です。少年の運命を決めるのは12人の陪審員。状況証拠などから、最初は誰もが「彼が犯人に間違いない。有罪だ」と言っていたのが、1人だけの反対者、ヘンリーフォンダの「本当にそうなのだろうか?」の一言から、事件の精査が始まり、みんなの意見が次々に変わっていきます。
「凶器のナイフは非常に珍しいものだ。凶器が合致したのだから、犯人だ」という意見に、フォンダは「いいえ、珍しくはありません。なぜなら、私も同じ物を持っています」と皆を驚かせ、「思い込みで物事を判断してはいけない」と諭します。その他にも、事件の状況を詳しく再考してみると、疑問点が多く、最終的には「証拠不十分=無罪」になるという話です。
この映画は、「陪審員制度」の本質・危うさをよく表現した名画でした。
この作品を見たときに思ったのは、「裁判って、けっこういい加減なものなんだ」ということです。このケースでも、もし、陪審員の中にフォンダがいなければ、被告は有罪になっていました。彼一人がいたことで、無罪に翻意したのです。
(余談ですが、刑事物とか探偵物の映画でも、「この刑事がいなかったら、冤罪だったんじゃないの? 現実には、こんなに頭のいい刑事なんて日本の警察にはいないでしょ?」とつっこむことがよくあります。また、アメリカではよほど冤罪が多いのか、同じくフォンダ主演の「間違えられた男」、スーザンヘイワードの「私は死にたくない」、デンゼルワシントンの「ハリケーン」など、冤罪をテーマにした名作がたくさんあります )
なお、脚本家の三谷幸喜は、この作品が大好きで、「12人の優しい日本人」というパロディ?映画を作っており、これもなかなかおもしろいです。
さて、枕が長くなりましたが、マンションの”国会”である、「理事会」という会議の場でも、性質は異なるものの、「12人の怒れる男たち」のようなことがよく起きます。
アメリカの陪審員も、理事会役員も、「抽選で選ばれたようなもの」です。特に試験とか資格とか適性はありません。乱暴な言い方をすれば、「寄せ集めの烏合の衆」です。
ですから、一人の役員の発言をきっかけにに、議題が思わぬ方向へいってしまうことがよくあります。
昨期の理事会では、「防犯カメラを設置しよう」という方針が出され、私に調査命令が来ました。実際に数社から見積もりも取りました。最初のうちは役員全員が「カメラをつけよう」と言っていて、「こんな時代だから設置するのは当然」という雰囲気で、準備も進み、「さて、最終的にはどこの会社に任せようか」という、”ほぼ決まり”の議案になったのに、ある一人の役員の発言で、設置自体が流れてしまったのです。
防犯カメラというのは、保守のことを考えて、リース契約することが多いのですが、台数によって大きく変わるものの、年間で数十万円はかかる高い買い物です。烏合の衆の役員には、これが高いのか安いのかわかりません。また、お金のことだけでなく、「プライバシーを配慮して、閲覧方法の規則を細かく決める」など運用面でも考えるべきことがあります。
そんな中、役員の中で、何事にも消極的な人が、突然こう言ったそうです。「なんか、防犯カメラってめんどくさいねえ。そんなお金かけるんだったら、盗難保険に入って、空き巣に入られた人に補償金払うほうが安くない。そっちの方が簡単でしょ?」 たしかに一理ある意見ですが、「強盗に入られてケガしたり、命とられた時に、お金じゃ解決しないでしょ」と私なら反論するところですが、他の役員も急に、「そうだよね。そっちの方がきっと安いよ。規則考えるのも面倒だし」「もともとこの地域は治安が悪いことを承知で購入したんだから、組合が防犯のこと考えなくてもいいんじゃないの?」「そうだよ、防犯は個人でやればいいんだよ」・・・・・といった意見が続いてしまい、結局、カメラ導入はお流れになったしだいです。その場所には、最有力候補の警備会社の社員も同席していたのですが、唖然としていたそうです。
私のうがった考えですが、最初に口火を切った住民は、よく「マナー違反ゴミ」を出す悪質な常習犯です。最初は、世情に乗って「カメラを入れましょう」とか言ったものの、カメラを設置されては困るのかもしれません。また、みんな嫌々役員になった人たちです。面倒な規則を考えるのも嫌なのでしょう。そんなこんなで、最初、「カメラをつけよう」と言っていた理事会があっという間に、「つけるのや〜めた」と反転してしまったしだいです。こういう、いざ、実現段階になるとしり込みすることはよくあります。そして結局、”次期へ繰越”=自然消滅となるのです。
まあ、このマンションは、理事会の結果を他住民に広報することもないので、なんかうやむやなまま、また次期へ代わるわけですが、それにしても、一人の何気ない意見が全体を変えることもあるわけです。このように理事会というのは、「はたして、公正に、みんなの意見を集約するように行なわれているのかどうか? 組合員の役に立っているのかどうか?」、はなはだ疑問の残る存在なのです。
私としては、どうせカメラを入れたら、「機械の管理は管理人にやらせればいい」と仕事を押し付けられるでしょうし、「防犯カメラがあったのに、なんで、不審者の侵入に気がつかなかった。管理人の怠慢だ!」といった非難もいずれあるでしょうし、「管理人に監視されているようで嫌だ」といった声も出るでしょうから、「ないほうが、やはりいいのかもしれない?」などと、無責任に考えてしまうわけですが。
それにしても、マンションの理事会って、いったんお流れになると、1年無駄にしたことになり、遅れます。1年の間にいろいろなことをテキパキとするマンションもあれば、3年かかっても、簡単な案件ひとつ片付けられないマンションもあります。要は人材なんですけどね。いい人材が集まった年と、烏合の衆が集まった年では全然変わります。たいていは、烏合の衆なんですけどネ。