管理人はつらいよ
マンション管理最前線
都市伝説 ベルマーク と プルタブ車椅子 |
2005/9/2 夏休みが終わり、やっと子供たちが学校に行くようになりました。少し、静かになり、ほっとしてます。子供が一日中いると、マンション内が汚れて、清掃が大変なんです。ガラスも拭いたすぐそばから汚していきますから、拭いても拭いてもきれいになりません。
さて、夏休みといえば、「自由研究」。今年の夏は、この自由研究にふりまわされました。
@<ベルマーク>
残念なことに、当マンションの住民の子供ではないのですが、近所の小学生(5年生くらい)数人が、夏休みが始まった頃に、当マンションを訪れ、こう言いました。
「あの〜、僕たち、今年の自由研究でボランティアのことを研究することになり、気軽にできるボランティアということで”ベルマーク”を集めて、学校に寄付することにしたんです。協力してもらえないですか?」
「協力って?」
「おじさんたち、ボール紙のゴミの整理してるじゃないですか? その時に僕たちもいっしょになって、ゴミの中の商品の空箱からベルマークを切り取りたいんです」
「なるほど。ほう、君たちえらいねえ。そういうことなら、おじさんたちも協力してあげるよ」
当地域は教育レベルが低く、マナーの悪い大人ばかりですが、中にはこんないい子供もいるんですねえ。感心して涙が出そうになり、ついつい、「協力する」と、その場の勢いで言ってしまいました。
ところで、ベルマークというのは、古い制度で、学校の現場に十分に教育道具が行き渡っていない時に、「(特に過疎地の)学校に教育道具を充実させよう」という趣旨で、財団法人が設立され、それに賛同した各地の学校のPTAさんが中心となって活動してきた、公の立派な制度です。この運動に賛同する企業は、自社の商品の包装紙や箱に、商品価格の0.5〜1%ほどにあたる、ベルマークの点数(1点=1円)を印刷し、消費者がそれを切り取って、財団に持っていくと、企業からお金が財団に支払われるという仕組みになっています。
このベルマーク運動、日本がまだ貧しい頃には有意義な活動で、賛同する企業の数も多く、いろいろな商品にベルマークがついていたのですが、今はずいぶん少なくなり、忘れ去った人も多いようです。
ちなみに、私も小学6年の頃に、仲間と協力して、「これから1年間、みんなでベルマークを集めて、卒業式の日に校長先生に渡して、後輩たちのために役立ててもらおう」と、がんばったことがあります。全部で1万点くらい集まったので、意気揚々と誇らしげに、卒業式の日に校長に渡しにいったら、「うちの学校はベルマーク運動やってないんだ。だからもらえない」と言われて、みんなで愕然とした苦い想い出があります。「なんていうひどい校長なんだ」と憤慨しました。結局、集めたベルマークは捨てました。あとから考えてみると、他で運動している学校はたくさんあったはずだから、そこへあげればよかったんですが、学校の先生はそんなことまったく教えてくれませんでした。
ベルマークは1点=1円ですから、比較的効率の良い、社会活動ではあるものの、マークを整理する作業が実は結構大変で、それを嫌がるPTAだと、活動に参加できないのです。ただ集まったマークを単純に、財団に送ればいいわけではなく、マークを協賛企業ごとに分類して、「A社=1000点 B社=2000点・・・」などとまとめなければなりません。また、紙とかビニールだといいんですが、三ツ矢サイダーの王冠にもベルマークが印刷されていて、これは、整理が大変です。
そんなわけで、私たち子供は「全国すべての学校で運動が行なわれている」と勘違いしていたのですが、実は一部のみの活動だったのです。
さて、話は戻って、当マンションのことへ。理事長にも許可をもらって、この子供たちに協力することにした、私と清掃パートさんの二人ですが、いざ始めてみると大変です。だって、いったんまとめられたゴミを、ばらばらにして、その中からベルマークのついているボール紙をよりわけるからです。子供たちは、私たちがよりわけたものから、はさみでベルマークの部分を切り落とします。そして、残った部分は再び戻します。1回やってみて、「とんでもないことに首つっこんだなあ」と後悔しました。おかげで、この夏休み期間、紙ゴミの整理がいつもの3倍かかりました。まあ、それでも、炎天下、一生懸命にベルマークを集める子供の姿を見ていると、大人が泣き言を言っていられません。
でも、夏休みが終わって、正直ほっとしました。今回の子供たちが立派な大人に育って、社会に貢献してくれることを期待します。
ベルマーク教育助成財団
A<プルタブが車椅子に?????>
ベルマークは、きちんとした財団があり、大手企業も参加したメジャーな活動なんですが、今度のは、どうにもこうにも眉唾物です。
夏休みが始まったある日、地元の中学生(この中にも当マンションの子供はいない)がやってきて、「すいませんが、ゴミ置き場に集まった缶から、プルタブだけを取り外させてくれませんか?」と言ってきました。くわしい話を聞いてみると、学校の生徒会で夏休みにボランティア活動をすることになり、「プルタブを集めて車椅子に替えてもらう運動」に参加することになったそうです。
この話って、今から10年以上前に、なんか噂で聞いたことあるんですが、たしか、新聞でも「デマだから相手にしないように」と記事が出たはずです。子供たちには、「すぐには決められないから、ちょっと検討させてください」と、いったん保留にしました。理事長にも相談しましたが、「なんか怪しいね。プルタブだけというのはおかしいよね。集めるならアルミ缶全体を集めたほうが、多くのアルミニウムが集められるのに。変だよ、管理人さん」との答え、私も同感です。なんか心配なので、学校に電話してみると、「生徒会で独自にやっていることなので、教職員は関与しておらず、よくわかりません」とのこと。ますます怪しいです。
住民の一人にこの話をすると、「あ、それ。うそじゃなくて本当の話よ。昔、自治会でも集めたことがあって、実際に車椅子もらったことがあるわよ」という話。う〜ん、どうやら、完全なデマではないようです。
どうにも、気にかかって、市役所の福祉係へ行って、聞いてみましたが、「噂では聞いたことがありますが、実際にやっているかどうかはよくわかりません」という回答。社会福祉協議会に聞いても、同様でした。仕方がないので、自分でインターネットで調べてみたら、わかりました。真実は奇奇怪怪、非常に不思議な話でした。以下に説明します。
○この運動が始まったのは、30年近く前の話。当時、缶飲料のプルタブは引き剥がすと分離して、缶とは別のゴミになってしまい、これが「公害」として問題になっていた。非常に鋭利なため、怪我をする人がおり、また、自然動物がこれを飲み込んで死亡するという痛ましい事故も起きていた。
これを解決しようと、ある環境保護団体が、「プルタブを拾い集めましょう」という運動を開始した。ただ、単に「集めよう」では、求心力がないため、当時、国民の関心を集めていた福祉に関連付けて(八代えいたが事故で車椅子生活になった頃じゃないかなあ)、「アルミ製のプルタブを集めて、車椅子に替えよう」と運動を展開したところ、深夜放送でさだまさしが訴えたりして、全国的に運動が広まった。つまり、本来の趣旨は”車椅子”ではなく、”危険なプルタブを回収しよう”、という点であった。
○その後、この活動が功を奏したのか、アメリカが先に、「缶と一体になったプルタブ」を開発し、これが日本でも採用され、プルタブだけが散乱することはなくなり、同時に、動物がこれを飲んで死ぬこともなくなった。運動の趣旨は達成され、めでたしめでたし、のはずなのだが、「車椅子」だけが一人歩きして、「車椅子のためにプルタブを集めよう」という趣旨に転換してしまい、プルタブを集める運動は下火にならずに続いてしまった。運動の主催者は、目的が達成されたことで、運動を休止した(病気も一因)のだが、プルタブだけがどんどん集まってきてしまうために、本来の目的とは異なるが、車椅子を得るために、大阪の企業の協力を得て、運動を再開し、現在に至っている。であるから、これはデマや詐欺ではない、本当の運動である。
○しかし、この運動を「ボランティア活動の効率性」という観念で考えた時に、多くの疑問が生じる。
1.「アルミ製のプルタブを溶かして、そこからアルミ製の車椅子を作るわけではない。」
あくまでも、金属問屋にアルミを引き取ってもらって、そのお金で車椅子を購入するのであり、車椅子しか購入しないというのはおかしい。他の福祉機器を買ってもいい。
2.「車椅子一台の価格は約7〜8万円。これに相当するアルミの量は、相場の変動に左右されるが、約800Kg。」
プルタブの数にすると200万個と言われている。しかし、アルミを送る際の送料がバカにならず(ヤマト運輸が趣旨に賛同して特別に安い金額で送ってくれるにもかかわらず)、送料分を差し引くため、実際に必要なアルミの量は1200Kg以上ではないかとのこと。ドラム缶2本弱に相当する。莫大な量であり、集めたり、異物を取り除いて整理する作業に、相当の人数と時間が必要。その労力を他のアルバイトに向けて、その報酬を寄付するほうがずっと高額になる。
3.「なぜプルタブにこだわるのか? アルミ缶本体を集めたほうが、よほど効率がいいはず。」
これには、「スチール缶のプルタブも実はほとんどがアルミ製で出来ている。缶を集めると間違えてスチール缶を混ぜる人が出てくるが、プルタブだけを集めると、スチールが混ざることはないから」という理由がある。しかし、「プルタブを缶から引き剥がす手間は甚大」「スチールとアルミの区別は非常に大きな文字で表示されるようになり、間違えにくい」「プルタブの分量は缶全体の40分の1であり、缶全体を集めたほうが絶対に効率的である。中学生の中には「車椅子をもらうために、たくさんジュースを飲もう」などとバカなことを言っている奴がいるが、300万個集めて、ようやく1台の車椅子しかもらえないのである。300万個というと、ほぼ毎日1缶飲む人8000人以上が1年間協力する必要がある。その人たちから10円ずつもらったほうが早い。
4.「現在、車椅子を切望する人はほとんどいない。」
この運動で得た車椅子は、ほとんどが、公共機関に寄付されているようだが、福祉の意識が高まった今、「車椅子が足らなくて困っている」という公共機関はほとんどない。つまり、もらっても、宝の持ち腐れになってしまう。善意が無になる。
5.「いまや、アルミ缶の回収は全国どこの自治体でも行なっている。」
きちんと回収されているというのに、その中からわざわざアルミ缶を取り出して、かつ、プルタブだけを取り外して、別の業者に送料を使って送って換金してもらうという手間は、無駄そのもの。どうせ最終的に公共機関に車椅子を寄贈するなら、自治体に対して、「ゴミ収集で集めたアルミ缶のお金を福祉に役立ててください」、と陳情するほうが話が早い。
6.この運動の亜種には、「1円玉を集めよう」というものがある
「道で拾った1円玉を、この運動に寄付して欲しい、その1円をアルミ回収業者に買い取ってもらって・・・・・」、オイオイ、1円玉は現金だよ。そのままお金として使ったほうがいいよ。溶かすことはないよ。
以上のような状況を考えると、どう考えても「無意味な運動」にしか思えません。しかし、いまだに、多くの学校や、町の商店街、自治会、企業の労組(NTTもやってる)などで、この運動は行なわれています。本来の趣旨や効率はどこかに行き、もはや、「ボランティアのためのボランティア」「運動する人たちの自己満足のため」としか、思えない活動になっています。
そんなわけです。当マンションでは、以前、アルミ缶は近くのホームレスが勝手に持って行っていたため、ほとんど残らず、アルミ缶のことは気にしていなかったのですが、ある住民から、「ホームレスをマンション内に入れるな」という苦情を受けてから、締め出しているため、アルミ缶が残っています。ですから、この中学生の申し出に応えたいところですが、上記のような事情のため、やめることにしました。正直、手伝う当方の労力も相当なものですから。(もちろん無償) アルミ缶を市が回収して、現金化し、少しでも、市の赤字が減ればいいじゃないですか? 無駄にはなりません。そっちのほうはよほど効率的な話ですしね。
それにしても、こういった、いわゆる「都市伝説」というものが、今のような情報化社会でも存在し続けるというのは不思議なものです。今の中学生なんて、プルタブが引き離されていた時代のことなんか知らないでしょうから、当然、この運動の初期の目的もわからないでしょう。
なにかボランティアをしたいなら、道端の吸殻を拾うとか、道端でくそをさせる犬の飼い主を怒るとか、点字ブロックの上に自転車を置かないとか、駅で車椅子の人がいたら、4人集めて、みんなで階段を持ち上げてあげるとか、いろいろできます。プルタブ集めるだけがボランティアではありませんヨ。
7〜8万円のことで、これだけ大騒ぎするのに、公務員が無駄に請求する架空予算には無関心。日本人は能天気だねえ。天下りする高級官僚なんて、税金を2億円くらい横取りしているというのに。プルタブにしたら、75億個だよ。たった一人の高級官僚が。
(今回の不要の総選挙につぎ込まれる国民の税金は800億円と言われているが、プルタブ何個???)
2005/9
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「俺がビールを毎晩飲むのは、ボランティアだ」とか言うオヤジもいることでしょう。