管理人はつらいよ   
マンション管理最前線

東京大空襲 と 軍人恩給  不公平な国




焼死した母子 (石川光陽 撮)


 
 3月10日(1945年)というのは東京の特に下町の人にとって重大な日です。しかし、今まではあまりマスコミも取り上げることはなく、林家三平の妻、香葉子さんが熱心に語り継ぐくらいで、全国的には、広島長崎と比べて、さほど注目されることはありませんでした。

 しかし、今年は、仲村トオル主演で「石川光陽」さんを主人公にした特別ドラマが放送されたりして、少し違います。東京大空襲の被害者や遺族が、「軍人には多額の恩給が支払われるのに、同じ、”太平洋戦争の死者”である、空襲被害者には一銭のお金も支払われないのは、法の下の平等に反する」として、国を訴えたことが、注目を集めたようです。

 実は、いましがた、マンションの住民が管理人室に来て、「管理人さん、、昨日のドラマ見た?
。実は、私は東京の下町の出身で・・・・・」と、1時間ほど、昔の話をなさっていました。私も、ドラマを見たため、この住民の話を興味深く聞かせてもらいました。この住民は、60歳くらいのご婦人で、一人暮らしです。きっと、誰かに話したくてしょうがなくなって、私のところに来たんでしょう。ご家族がいれば、夫や子供に話すのでしょうが、一人では無理です。

 このご婦人が通っていた小学校は、芥川龍之介の母校でもあるそうで、空襲の際にも燃え残って、倒壊を免れています。戦後もこの小学校はそのまま使われたそうですが、建物のいたるところに、空襲の爪あとが残され、先生から、「あの壁のしみは人の形をしているだろう。壁にくっついて人が焼け死んだんだ」などと説明を受けたそうです。学校側も、戦争の悲惨さを忘れさせないよう、あえて、痕跡を残していたようです。

 




 こんな感じで、昔の話をいろいろと聞きました。そして、「軍人が死んでも、遺族は恩給をもらえるから生活の心配はないけど、沖縄戦や東京大空襲の民間人死者には、何も補償がないのよねえ。おかしいわよね。役人だけががっぽり稼ぐ今の社会といっしょよね。日本っておかしな国よ」と嘆いていました。

 そして、このご婦人から、同じ当マンションの中に住む、老婦人Bさんのお話を聞きました。

 このBさんは、一見、夫婦のように見えるのですが、実は、ご主人と奥さんとは苗字が違います。ポストも連名です。どうやら
内縁関係のようです。「もう、90くらいになる高齢者なのに、なんで、正式に結婚していないんだろう?」と、私はずっと不思議に思っていましたが、今回初めてその理由がわかりました。
 実は、Bさんは「
戦争未亡人」だったのです。17〜8歳で海軍将校さんと結婚し、新婚生活などほとんどないまま、ご主人はフィリピン沖で軍艦が沈没し、戦死。結婚してすぐに未亡人となってしまいました。ただ、将校ということで、軍人恩給をがっぽりもらえるそうです。そして、それはいまだに続いています。ですから、このBさんは、当マンションの中で、一番条件のいい、一番広い部屋に住んでいます。そして、他にも何室かのマンションを所有して、賃貸にして収入を得ている「大金持ち」だそうです。もともとの持ち家は、息子夫婦に譲って、好きな人といっしょに悠々自適に暮らすために、このマンションを買ったようです。90近いはずですが、お体は非常に元気です。Bさんは、未亡人となったあと、一度も働くことはなかったそうです。恩給だけで、息子を大学に行かせることもできたそうです。Bさんは、他の住民と比べても、「掃き溜めに鶴」みたいな上品な人で、みなりも高級なものを身に着けていて、「なんか、このマンションには似合わないなあ」とずっと思っていました。

 ご主人のような男性は、Bさんよりもずっと若い男性で、「なんか変なカップルだなあ」と思っていたのですが、どうやら、彼女にとっては「若いツバメ」のような人らしいです。再婚してしまうと、恩給の支給が止まってしまうため、あえて、籍は入れずに、内縁関係を続けているようです。このように、「お金持ち」ですから、この男性も仕事はいっさいせず、パチンコ三昧で、毎日ブラブラしています。

 今まで、ずっと不思議に思っていたことの理由が、
「軍人恩給」というキーワードで解決しました。ご主人が戦死してから、すでに64年。ずっと恩給をもらってますから、その総額は何億円になることでしょう。それはみな、「国民が払った税金」です。

 一方、空襲で焼き殺された人には、一銭の補償もありません。家も家族も殺されて、裸同然になった人は、自分の努力だけで稼いで生きてきました。同じ日本人で、なんで、こんなに違うんでしょうか? 理不尽です。

 民間人への無差別爆撃という、人の道に外れた作戦を指揮した、米軍 カーチス・ルメイには、戦後、小泉純一郎の父=売国奴小泉純也の働きかけによって、最高位の勲章が日本政府から贈られたそうです。なんという破廉恥、まさに、小泉純一郎の思想と同じです。(マンション偽装事件の姉歯建築士を表彰しているようなものです。)

 そして、日本の自衛隊には、国際社会で批判を浴びている、無差別攻撃兵器「クラスター爆弾」があります。


 いつの世も、犠牲になるのは庶民ばかり、一部の政治家と、それに癒着した企業だけが太っています。これが、官尊民卑というものなんでしょうか? 悲しいです。

花があったら

 
昭和二十年三月十日の(東京)大空襲から三日目か、四日目であったか、
私の脳裏に鮮明に残っている一つの情景がある。

 永代橋から深川木場方面の死体取り片付け作業に従事していた私は、
無数とも思われる程の遺体に慣れて、一遺体ごとに手を合わせるものの、
初めに感じていた異臭にも、焼けただれた皮膚の無惨さにも、
さして驚くこともなくなっていた。

午後も夕方近く、路地と見られる所で発見した遺体の異様な姿態に不審を覚えた。

 頭髪が焼けこげ、着物が焼けて火傷の皮膚があらわなことはいずれとも変りはなかったが、
倒壊物の下敷きになった方の他はうつ伏せか、横かがみ、仰向きがすべてであったのに、
その遺体のみは、地面に顔をつけてうずくまっていた。

着衣から女性と見分けられたが、なぜこうした形で死んだのか。

 その人は赤ちゃんを抱えていた。
さらに、その下には大きな穴が掘られていた。

母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、つめは一つもなかった。

どこからか来て、もはやと覚悟して、指で固い地面を掘り、赤ちゃんを入れ、
その上におおいかぶさって、火を防ぎ、わが子の生命を守ろうとしたのであろう。

 赤ちゃんの着物はすこしも焼けていなかった。
小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。
だが、煙のためかその赤ちゃんもすでに息をしていなかった。

 わたしの周囲には十人余りの友人がいたが、だれも無言であった。
どの顔も涙で汚れゆがんでいた。

一人がそっとその場をはなれ、
地面にはう破裂した水道管からちょろちょろこぼれるような水で手ぬぐいをぬらしてきて、
母親の黒ずんだ顔を丁寧にふいた。

若い顔がそこに現れた。
ひどい火傷を負いながらも、息の出来ない煙に巻かれながらも、
苦痛の表情は見られなかった。

 これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。
人間の愛を表現する顔であったのか。

 だれかがいった。

 「花があったらなあ――」

 あたりは、はるか彼方まで、焼け野原が続いていた。

私たちは、数え十九才の学徒兵であった。


(当時、学徒兵として、10万人の遺体の処理作業をした須田卓雄さんの詩)



2008/3

リンク 東京大空襲・戦災資料センター